始まりと終わりの黒い太陽、『メランコリア』

ラース・フォン・トリアー監督の『メランコリア』を観てきました。「メランコリア」という惑星が地球にぶつかっちゃうまでのとある姉妹のお話です。


憂鬱。このごちゃっとした文字を見るだけでふぅとため息をつきうつろな瞳で虚空を眺めたくなるのは私だけではないはず。メランコリアと聞いてすぐに思い浮かぶのはドイツ・ルネサンス期の画家アルブレヒト・デューラーの描く銅版画の傑作『メランコリア・I』です。デューラーがこの銅版画を描くに至った直接の動機は古代ギリシャアリストテレスが確立した四大論(大地、水、火、大気)の思想にまで遡り、中世には人間四性論として結実したもの。人間の体内に流れる四種の液体の性質により人間の性格が決定されるというもので、温かく湿り気を帯びた血液は多血質、熱く渇いた血液は胆汁質、冷たく湿ったものは粘液質、そして冷たく渇いた血液が憂鬱質(メランコリア)を生み出すと考えられていたのですね。憂鬱質は人間の病的な状態を指すのですが、イタリアの哲学者フィチーノは孤独を好み瞑想にふける知的で創造的な人間としてとらえました。『メランコリア・I』の翼を持つ人物がコンパスを手に持ち、周りにはハシゴや定規、秤、砂時計などが描かれているのも創作行為を示しています。そして左上で妖しい光を投げかける“MELENCHOLIA”と書かれたものは黒い太陽または土星と言われています。この言葉はギリシャ語に由来し、「黒い胆汁を持った状態」を意味しているらしい。黒い胆汁が陰鬱な気質を生み、ロマン派の詩人たちに大革命後の乱世を憂う世紀病を流行らせました。このメランコリックはテオフィル・ゴーチエの『メランコリア』や時代は下るがヴェルレーヌの『土星詩集』の中の「メランコリア」、サルトルの『嘔吐』の草稿の原題『メランコリア』にまで及んでいます。この黒い太陽ないし土星は実は彗星だという説もあり、今回の映画にはこちらの解釈の方が都合がよいですね。いずれにせよ、メランコリアとは終末の闇を意味すると同時に、創造的人間の脳裏にひらめくインスピレーションの源の象徴でもあり、原初の闇つまり創世の混沌なのです。そこには創造→終末→新生という輪廻的宇宙観が見てとることができます。錬金術との関連まで話しているともう日が暮れてしまいそうなので興味のある方は自分で調べましょう!

というわけで前フリが長くなってしまいましたが、えーと『メランコリア』ね。まず冒頭の作品全体を抽象的に表現してみましたといった感じの超スローモーション映像が一気にこの憂鬱な世界観へと誘ってくれる。第1章はヒロインであるジャスティンの結婚式。式に大幅に遅刻してもなんら焦りを見せず無邪気に笑うジャスティンだが、離婚した母親の皮肉たっぷりなスピーチで幸せムードは一変する。そこから瞬く間に仮面は剥がれ落ち、ヒステリックな母親に女たらしの父親、強欲で高慢な上司の姿が現れる。ジャスティンは極端に落ち込んだり突然ハイになったり、ウエディングドレスを脱いだり着たり引きずったり、悲壮の色は濃さを増していく。ジャスティンを演じるキルスティン・ダンストは決してパーフェクトな美しさではないのだけど、幼少の頃演じたヴァンパイアのような無機質で人形のような雰囲気が憂愁さを醸し出していたように思いました。よく「うつ病は脳の病気だ」と言うけれど、結婚式から7週間後のジャスティンがよろよろと歩き目を開ける気力もない様子は脳の病気ではなくて、何か宿命的で逃れがたくとてつもない重力を持った憂鬱さにまとわりつかれているようでした。

第2章では姉のクレアが主眼となる。このクレア役のシャルロット・ゲンズブールを見るとどうしても『アンチクライスト』を思い出してまた夫のちんこを刺したり足首に穴を開けたりするんじゃないかとハラハラしてしまいました(笑)惑星メランコリアが地球に近づくにつれてすっかり回復し悟りを開いたかのようなジャスティンに対し、今度はクレアが不安状態に。私の心はジャスティンと同じように動いていって終末を迎える覚悟というかその運命を受け入れる姿勢になって観ていたので、今頃になって焦り出すクレアの神経質な挙動や表情は少し滑稽に見えたぐらい。終末を描いた映画って大抵街中がパニックになってきったねぇ人間のエゴが描かれたりするけど、『メランコリア』の場合はそういった一般人たちとは隔離された場所が舞台であったことがより寓意性を強調させることに成功したのではないかと思います。テレビを見ることもなく、ネットで惑星メランコリアを調べることが唯一外界との接触であるのにプリントアウトしようとした瞬間に停電になるなど、尽く外界との接触を断っている。危機が迫っていることは分かっているけれど詳しくは知らないという状況は『ハプニング』にも少し通じるところがあると思いました。

そしてラスト。あの轟音で近づくメランコリアは観ている者を圧倒し、「あぁ。もう終わりなんだなぁ。」と思わせる。その後の静寂はまさにサウンド・オブ・サイレンスで背筋がぞわぞわとして身体全体が痺れ、息をするのも忘れそうな瞬間だった。自分まで擬似的に終末を体験したようなそんな気分。映画館を出た後のふわふわと浮き足立ち現実味のない感覚はすごく不思議なものでした。

ラース・フォン・トリアー監督の作品はそれなりに観ているのですが、『メランコリア』はかなりのお気に入りとなりましたね。『アンチクライスト』、『メランコリア』ときて次は一体どんな作品になるのかすごく楽しみです。