SEXするなら金よこせ!!、『恋の罪』

賛否両論いろいろ話題になっている『ヒミズ』の公開がこちらではまだまだなので、先日ようやく公開した『恋の罪』を鑑賞してきました。

某田舎に住む私には東京の、渋谷の、円山町の、ラブホ街!なんて言われてもまったくピンと来ないのですが、売春、立ちんぼという単語を聞けば村上龍がよく描いてるああいうなんかねっとりした女の人たちのことだ!とわかります。彼女たちはなぜ身体を売るのか。お金が欲しいから?いろんな男とSEXしたいから?おとっつぁんが借金苦で仕方なくあたいが女郎やに入れられることになったんですぅよよよ。というのはまぁ江戸時代からあることだし、労働の厳しさも知らない小娘が小遣い稼ぎに援助交際の延長で売春なんてのもあるかもしれない。夫とのSEXがマンネリ化しその欲望を持て余したエロい人妻が「大丈夫大丈夫!ちょっと脱ぐだけだから!」みたいなのに騙されてぶち込まれ、そのまま売春街道まっしぐら!とかもあるかもしれない。でも売春やってる人って多分それだけじゃない。と思わせるようなこの作品。

陰気な雨が降りしきる夜、切断された身体とマネキンを接合された死体が渋谷のラブホ街にある廃墟の中で発見される。物語はその死体の身元を調査する女刑事とこの事件に関わる有名小説家の妻と大学の助教授の3人の女性を軸に展開される。女刑事は仕事が多忙なことを理由にほとんど家庭を顧みることがないくせに、旦那の友人(ごしゅじんさま)と不倫し、呼ばれれば尻尾を振って家を飛び出すほどの忠犬。有名小説家の妻は見てるこっちが息の詰まるような、具体的に言えば旦那の帰宅時間に合わせてお紅茶を用意し、玄関の真っ白なスリッパを定位置に揃え、いつも使ってるサボン・ドゥ・マルセイユじゃなきゃ嫌と駄々をこねるようなっ(はぁはぁ)とにかくとても正常な夫婦とは言えないような生活を送っている。そしてそんな人妻がラブホ街で出会ったもう見るからにアバズレって風貌の街娼は、なんと昼間はキリッと薄化粧の大学助教授!しかも実父を男として愛していたとな。なんていうか…女っていろんな顔を使い分けているのね。まぁ私もそうよ。ふふふ。

このように何らかの抑圧とか歪んだ家庭環境だとかによって女としての自我を閉じ込められている女性が自分という存在を肌で感じるための手段としてSEXをしているように見えました。特に売春をする人妻と助教授は「愛のないSEXをするなら金額の大小に拘わらず金を介在させろ」という理念の下に「城」と呼ばれる廃墟でハメ狂っていたことから、社会的地位や肩書きを取り払ったありのままの自分に価値を見出そうとしているような。このフレーズどっかで聞いたことあるなぁと思ったら数年前に大学の講義で受けた「貨幣論」で先生が言ってた台詞でした(笑)ものすごく納得した覚えがあります。ではSEXで心も身体も解放させることで変身願望を満たされるのだろうか?それはたぶん一時的には満たされると思います。しかしそこにつきまとうのが罪悪感。今の自分にはこれしかないんだとどんなに売春を肯定しても何か漠然とした罪悪感が影のようにつきまとう。きっとこの影がどんどん濃くなって闇に飲まれ破滅するんだろうと思う。

また、この映画ではいくつかの文学作品を引用している。会話の中でイプセンの『人形の家』が出てきたり、カフカの『城』は城の周りをぐるぐると回り続ける人々の象徴、終盤では田村隆一の『帰途』という詩の「言葉なんておぼえるんじゃなかった」という一節が繰り返される。この『城』と『帰途』は彼女たちの心理を叙情的に表しているようで私は結構気に入っている。

あと私がとても気に入っているシーンはアバズレ助教授のお屋敷で高齢の母親とお茶をするところ。この母親のしゃべりが本当にリアル。娘が自分と違って売女で下品なのは全部ぜーーんぶこいつの父親のせいっていうのがいい。

冷たい熱帯魚』はとにかく暴力暴力!そしてSEX!というゴリ押しのような感じだったけど、今回はAVさながらのSEXシーンや蛆がわいた死体とか園子温らしいエログロ描写がありながらも決して映像の突飛さだけでは片付けられないような、先ほども挙げた叙情的で女性らしい感傷的な雰囲気もちょびっと感じられた。気がする。

女が身体を売るってどういうことなのか。これはどうしたって男にはわからないものがあるのではないだろうか。