SEXするなら金よこせ!!、『恋の罪』

賛否両論いろいろ話題になっている『ヒミズ』の公開がこちらではまだまだなので、先日ようやく公開した『恋の罪』を鑑賞してきました。

某田舎に住む私には東京の、渋谷の、円山町の、ラブホ街!なんて言われてもまったくピンと来ないのですが、売春、立ちんぼという単語を聞けば村上龍がよく描いてるああいうなんかねっとりした女の人たちのことだ!とわかります。彼女たちはなぜ身体を売るのか。お金が欲しいから?いろんな男とSEXしたいから?おとっつぁんが借金苦で仕方なくあたいが女郎やに入れられることになったんですぅよよよ。というのはまぁ江戸時代からあることだし、労働の厳しさも知らない小娘が小遣い稼ぎに援助交際の延長で売春なんてのもあるかもしれない。夫とのSEXがマンネリ化しその欲望を持て余したエロい人妻が「大丈夫大丈夫!ちょっと脱ぐだけだから!」みたいなのに騙されてぶち込まれ、そのまま売春街道まっしぐら!とかもあるかもしれない。でも売春やってる人って多分それだけじゃない。と思わせるようなこの作品。

陰気な雨が降りしきる夜、切断された身体とマネキンを接合された死体が渋谷のラブホ街にある廃墟の中で発見される。物語はその死体の身元を調査する女刑事とこの事件に関わる有名小説家の妻と大学の助教授の3人の女性を軸に展開される。女刑事は仕事が多忙なことを理由にほとんど家庭を顧みることがないくせに、旦那の友人(ごしゅじんさま)と不倫し、呼ばれれば尻尾を振って家を飛び出すほどの忠犬。有名小説家の妻は見てるこっちが息の詰まるような、具体的に言えば旦那の帰宅時間に合わせてお紅茶を用意し、玄関の真っ白なスリッパを定位置に揃え、いつも使ってるサボン・ドゥ・マルセイユじゃなきゃ嫌と駄々をこねるようなっ(はぁはぁ)とにかくとても正常な夫婦とは言えないような生活を送っている。そしてそんな人妻がラブホ街で出会ったもう見るからにアバズレって風貌の街娼は、なんと昼間はキリッと薄化粧の大学助教授!しかも実父を男として愛していたとな。なんていうか…女っていろんな顔を使い分けているのね。まぁ私もそうよ。ふふふ。

このように何らかの抑圧とか歪んだ家庭環境だとかによって女としての自我を閉じ込められている女性が自分という存在を肌で感じるための手段としてSEXをしているように見えました。特に売春をする人妻と助教授は「愛のないSEXをするなら金額の大小に拘わらず金を介在させろ」という理念の下に「城」と呼ばれる廃墟でハメ狂っていたことから、社会的地位や肩書きを取り払ったありのままの自分に価値を見出そうとしているような。このフレーズどっかで聞いたことあるなぁと思ったら数年前に大学の講義で受けた「貨幣論」で先生が言ってた台詞でした(笑)ものすごく納得した覚えがあります。ではSEXで心も身体も解放させることで変身願望を満たされるのだろうか?それはたぶん一時的には満たされると思います。しかしそこにつきまとうのが罪悪感。今の自分にはこれしかないんだとどんなに売春を肯定しても何か漠然とした罪悪感が影のようにつきまとう。きっとこの影がどんどん濃くなって闇に飲まれ破滅するんだろうと思う。

また、この映画ではいくつかの文学作品を引用している。会話の中でイプセンの『人形の家』が出てきたり、カフカの『城』は城の周りをぐるぐると回り続ける人々の象徴、終盤では田村隆一の『帰途』という詩の「言葉なんておぼえるんじゃなかった」という一節が繰り返される。この『城』と『帰途』は彼女たちの心理を叙情的に表しているようで私は結構気に入っている。

あと私がとても気に入っているシーンはアバズレ助教授のお屋敷で高齢の母親とお茶をするところ。この母親のしゃべりが本当にリアル。娘が自分と違って売女で下品なのは全部ぜーーんぶこいつの父親のせいっていうのがいい。

冷たい熱帯魚』はとにかく暴力暴力!そしてSEX!というゴリ押しのような感じだったけど、今回はAVさながらのSEXシーンや蛆がわいた死体とか園子温らしいエログロ描写がありながらも決して映像の突飛さだけでは片付けられないような、先ほども挙げた叙情的で女性らしい感傷的な雰囲気もちょびっと感じられた。気がする。

女が身体を売るってどういうことなのか。これはどうしたって男にはわからないものがあるのではないだろうか。

盛者必衰の理、『新少林寺/SHAOLIN』

私が子どもの頃はキョンシーブームで一日中前習えしてピョンピョンし、愛らしいテンテンちゃんの戦う姿に憧れました。(スイカ頭の爆死は幼心に衝撃)ドラゴンボールを見てはかめはめ波を出す練習に精を出し、少林寺リー・リンチェイを見てははぁっ!はぁっ!ははぁっっっ!!とやったもんです。親が買い与えたリカちゃん人形にはまったく興味を示さず、近所の男の子たちと「たたかいごっこ」なるものに興じ、学校では男の子を泣かせてよく先生に怒られました。そんな私は大人になった今でもやはり人間同士が戦う姿に血沸き肉躍り、来るべき時のためにシミュレーションを繰り返しているわけです。ああいうのって見てるだけでなんか戦える気がする!!かかってこい!!

というわけで私の周りではほとんど評判を耳にしなかった『新少林寺/SHAOLIN』ですが、これ、めちゃくちゃ面白かったです。

時は辛亥革命の翌年1912年、清王朝が倒れてからも国内での覇権争いが続き、ヨーロッパ列強の侵略も激しく混乱を極めていた。一方、少林寺の僧侶たちは傷ついた民衆や兵士たちを助けて一連の戦いからは独立を保っていた。そこへ独裁的な将軍の侯杰(コウケツ)が少林寺に逃げ込んだ敵を追い詰めた。敵が命乞いしたにもかかわらずその場で銃殺し、さらに少林寺を愚弄する。しかしそんな非道な侯杰にも妻と幼い娘の前では良き夫良き父であり愛情たっぷりの家庭を持っていた。すべて順調に見えた侯杰だが、腹心の部下曹蛮(ソウバン)の裏切りにあい愛する者を失い、愚弄したはずの少林寺に助けを求める。

私としてはただの格闘アクションを想像して臨んだのですが、意外とストーリーがしっかりしていて、家族愛や友情、人間いかにして生きるべきかなどとても考えさせられました。非道の限りを尽くしてきた独裁者の没落と改心していく姿にぐっとくる。実際三度ほどほろほろと涙が出ましたよ。

戦闘シーンはお得意のワイヤーアクションで、高速でしゅんしゅん回ったりふわっと滞空したり。少林寺の僧侶たちが美しいフォーメーションで攻撃したりするのも迫力があっていい。時代設定が近代なので銃を向けられたらマトリックスのごとくかわすかお降参するかだけど、意外と敵の方も鎌だとか槍だとか原始的な武器が多かった。

少林寺と言ったら整然と揃ってはぁっ!はぁっ!ははぁっっ!!と修行するシーンだろ!って人は多いと思うのですがそこはちらっとしか出ません。主人公が改心する様子はとても細かく描写されているのですが、身体的な修行シーンがちょっと少ないんですよね。そこからもこの作品が精神的な要素を重視してることが窺えます。

ジャッキー・チェンが出るとの噂を聞いていたのですが一向に出てくる気配なし。中盤でようやく登場したと思いきや少林寺の厨房係とな!!少林寺での修行は挫折し厨房係となったこの男はどでかい鍋をぶんぶん回したりどっぱーんと饅頭の生地をこねたり、まるで「中華一番!」のごとき豪快な料理シーンを披露してくれる。これは後々の戦闘にも生かされることになり、敵の兵士たちがジャッキーに料理されていくシーンはすごく楽しい。『1911』でのシリアス、ノーカンフーなジャッキーを見たばかりだったので、やっぱこういう茶目っ気のある方がジャッキーらしいよね!と思いました。ただ特別出演というだけに本当に本筋とはそれほど絡みはないです(笑)

真の悪役である曹蛮ことニコラス・ツェーは美しくぷっつんクレイジーな感じがよかった。最初はキリッといい男なのにどんどん汚らしくやさぐれていく感じもまたよい。というか本当に美しい。ただちょっと弱い(笑)

最後の死闘はものすごい迫力で、130分という長尺でも飽きさせることはなかったです。エンドロールの荘厳な歌に男泣き!(あたしは乙女だけど!)

神話画から抜け出した英雄たち、『インモータルズ-神々の戦い-』

遅ればせながらあけましておめでとうございます。今年も亀の歩みのごとく遅い更新でのらりくらりといきたいと思います。

というわけで。去年のいつぞやに観た『インモータルズ-神々の戦い-』の感想です。ギリシャ神話をモチーフにした血湧き肉踊るアクションスペクタクル。監督は『ザ・セル』のターセム・シンで、あの映像美と世界観が私はとても好きなのです。あのエキゾチスムと現代美術を融合させたような映像は今回さらにより絵画的なタッチとなっておりました。

その昔オリンポスの神々と闇の神タイタン族が世界の覇権を巡って戦い、戦いに敗れたタイタン族はタルタロスの山の地底深くに幽閉された。さらに何百年の時を経てミッキー・ローク扮するイクラリオン国王のハイペリオンが世界制服を企みギリシャの村々を破壊し、タイタン族を解放することができる「エピロスの弓」を探していた。このエピロスの弓の在り処を知るのは未来の予知能力を持つ巫女パイドラ。ハイペリオンによって捕えられたパイドラが同じく奴隷捕虜とされた青年テセウスに触れた瞬間に彼が全知全能の神ゼウスに選ばれた者だということを見抜く。パイドラはテセウスと逃亡を図りハイペリオンを倒すべく旅立つのだった。

で、神々はいつ出てくるのだ?と疑問に思う方も多いと思うのですが、ちゃんと終盤で出てきますよ。終盤で。大半はテセウスハイペリオンを主軸にした人間同士の戦いなので舌は切り取られるわ、金玉はハンマーでつぶされるわ、首は飛ぶわもう血なまぐさいことこの上なくて私はとても興奮しましたっっ。一方神様たちの戦い方はちんけな人間共とは一味違って何事もダイナミック。突然天空からずどーんと現れたかと思いきやゴキブリのような動きのタイタン族を目にも止まらぬ速さすぎて逆に止まって見える?みたいなモーションでぶった斬っていく。(でも意外と弱い)お話自体はあくまでも神話をモチーフにしているってだけですが、クレタ島の迷宮に住むミノタウロスに当たるシーンなど随所で神話に基づく描写がありました。(回廊でちゃんと足あとがついていたり。)
その金ぴかなコスチュームは聖星矢を彷彿とさせる。そう、このコスチュームがねとてもアーティスティックですのよ。フランシス・コッポラ監督の『ドラキュラ』でアカデミー賞の衣装デザイン賞を取った石岡瑛子さんが担当されているのです。神様たちのブロンズ像のようなコスチュームも素敵なんだけど、私が特に気に入ったのは巫女の真っ赤な衣装。砂漠の水飲み場にやってきた時はコプト教結婚式で花嫁が纏う衣装のようで神秘的だった。あと、ミッキー・ロークが途中でかぶるクワガタみたいな兜が可愛くて可愛くて(笑)なにそれクワガタコス?ねぇ?ムシキングって心の中できゃっきゃしてました。

映像は全体的に明暗と色の濃淡が強くレンブラントのようで、躍動的な動きはカラヴァッジオのような大胆な構図を思い浮かべる。そして最後の最後、天空で神々とタイタン族が剣を交えるシーンはサン・ティニャーツィオ聖堂にあるポッツォの『聖イグナティウス・ロヨラの栄光』のような壮大な画。他にも一枚一枚の絵を繋ぎ合わせたような映像美に神話画が好きな私は始終はふはふしておりました。

こういう画像を見るとどうしてもモンスター・エンジンの「神々の遊び」ネタが浮かんでしまって実は鑑賞中もちょっと思い出してた悪い子です(てへ)

最後にこれはあくまでも私見なのですが。パイドラが最初に予見したイメージにはテセウスハイペリオンが手を取り合ってエピロスの弓を手にしているところでしたが、あれは二人が相反する側面を象徴したドッペルゲンガーであることを暗に示しているように感じたのです。だからラストの戦いもテセウスハイペリオンの一騎打ちなのではと。

インド人ターセム・シン監督のエキゾチックな映像。いいねっ!これからも期待してます!

タンクトップ姉ちゃんVS粘着質モンスター、『第7鉱区』

『第7鉱区』(2011)

映画のタイトルというものは非常に重要でありながらも本当にそれでよかったの?みたいなのありませんか?ありますよね。特に邦題。わざとパロディで使っている何かもう一線を越えてしまっているような、『マゾリックス』とか『パイパニック』とかの類の作品はいいのですが、そういうわけでもないのに何か既視感を覚えるようなそんなタイトル。

というわけで『第7鉱区』という韓国のモンスターパニック映画を観てきました。このタイトルからまずはエビのような造形のエイリアンが登場する映画をぽわわっと思い浮かべ、韓国のモンスターパニックと聞いてジャージ姿のソン・ガンホペ・ドゥナが出てくるあの映画を混ぜ合わせてなるほどそういう感じの映画に違いないと大体の見当をつけて観に行きました。

舞台となるのは1970年代から日韓共同で天然資源の開発が始まった東シナ海とその石油ボーリング船。白いタンクトップから露出した引き締まったボディが美しいヒロインの父親はその昔第7鉱区での掘削作業中に原因不明の事故で亡くなった。父の意志を継ぐかのように彼女は第7鉱区での石油採掘に精を出し折り合いの悪い上司といがみ合いながらも仲間と協力し合う。しかしある日乗組員の一人が事故死し、生態研究員の女性や医療担当官も謎の死を遂げる。やがて船内に得たいの知れない生物がいることに気づき彼女たちの死闘が始まる。

えーとですね。なんていうのかな、懐かしい感じがしたんですよ。人間ドラマも割としっかり描かれているんだけど全体的にどこかちゃちな感じ。でもこのちゃちな感じはそれほど悪くない。それは平成ゴジラシリーズを彷彿とさせるようなちゃちさだから。父親の面影を追いながら、絶対に第7鉱区で石油掘り当てるんじゃ!っていうまっすぐな意気込みとか、自分の命を投げ出してでも仲間を守ろうとする友情とかすごーくわかりやすいところが幼稚に感じてしまうのかもしれない。

モンスターの造形は深海生物ってことでなんかこうチョウチンアンコウに爬虫類系の手足が生えてゴジラのような長い尻尾がついてるというか、かなり不細工でぬちょっとねちょっとしてます。しかしこいつの幼体はクリオネのように愛らしく、まぁまぁ可愛いと指を出すとがぶっといくわけですね。得たいの知れないものに手を出したらいけないんですよ。そしてこのモンスターの強靭さと執拗さときたらアナコンダ級。銃で撃っても火で燃やしても扉にバイクで轢いても海に突き落としてもしつこくしつこーく追いかけてくる。ふぅやっと倒したぜと一安心して志村ー志村うしろー!って手法が何度も繰り返されます。

とまぁちゃちなドラマとしつこいモンスターというとあんまりいいイメージがないですが、それを払拭してくれるのがヒロインの白タンクトップのお姉ちゃん!!ショートヘアにきりっとした顔立ち。適度に引き締まった四肢。その男勝りな性格がまたいい!!わたくしボーイッシュなガールが大好きでございますの。どんだけボーイッシュかってぇとモンスターとプロレスやったりバイクで追いかけっこしたりするくらいお転婆さん。もう泥まみれのぐっちょぐちょっすよ!この徹底的なバトルシーンは見ていて純粋に楽しくてきゃっきゃしました。

というわけで『第9地区』とは全然関係なかったし、『グエムル』のような家族愛とか悲壮感とかメッセージ性は皆無だけど、小学生の頃に近所の自治会で観に行くようなスタンスで観ていただければ無邪気に楽しめるのではないかと思います。

日本のテクノロジー、『トイレット』

『トイレット』(2010)

日本人が海外旅行へ行って自国との仕様の違いにまず顔をしかめるのはトイレではないだろうか。温かい便座にウォシュレット付きの至れり尽くせりなトイレに慣れてしまった私たちにとって、海外の冷たい無機質な陶器の便座はひやっと飛び上がらせる。デパートなどのトイレではアルコールで便座を消毒できたり、女性用トイレには小便のちょろちょろ音を消すための「音姫」が備え付けられていたりする。家のトイレが一番落ち着くなんていう人が結構いて本を置いている人もいたりしますよね。(私も一、二冊常備しています。)逆に、外国人が日本へやってくるとこの隙のないトイレに感嘆、狂喜乱舞し、「トイレにこそ日本のハイテクノロジーが象徴されている!」と雄叫びを上げるのです。

本作は日本映画なのに舞台はアメリカ(撮影場所はカナダだけど設定は北米東部)、使用言語も英語という少し変わった映画。日本人の母親が死に、墓の前に佇む三兄妹。パニック障害を患い4年間引きこもりピアニストの長男モーリー、企業付き実験室勤務でロボットオタクの次男レイ、生意気でロックな大学生の妹リサである。そしてもう一人母親が残したのが日本から呼び寄せたもたいまさこ演じる「ばーちゃん」。このばーちゃんはまったく英語が通じず一言も言葉を発しないのだが、朝トイレから出てくると深いため息をつく。おまけにいつも難しい表情を浮かべているので三兄妹はどう接したらいいのかわからず戸惑うが、表情と物腰で語るばーちゃんが不器用な三兄妹に本当の自分を見つける手助けをしてくれるのです。

同監督作品の『かもめ食堂』でもそうだったが、登場する料理がとにかく美味しそう。お寿司、餃子、煮物など日本ではごくごく普通のラインナップなのだが、三兄妹とばーちゃんが囲む食卓はどこか温かくてほっくりする。夜中に餃子を焼いてビールをきゅっと飲むシーンなんかはもうたまらない。

三兄妹の中でも一番個性的で気に入ったのが長男のモーリー。天才的なピアノの腕前を持ちながら4年前のある事件以来心を閉ざして家に引きこもり、一切ピアノを弾かなくなってしまった。部屋の片付け最中に発見した母親の遺品である古いミシンに興味を持ちばーちゃんに使い方を手ほどきしてもらう。パニックを起こしてしまうため4年間一歩も外に出たことがなかった彼が意を決して生地を買いに行き、まるでピアノを演奏するかのごとくミシンを操って完成させたものはなんとロングスカート!!その可愛らしいスカートを履いたモーリーの達成感あふれる様子がぐっときますね。

人付き合いの苦手な次男のレイは一見すると三兄妹の中で一番しっかりしていて社会に順応しているように見えるが実は一番殻に篭った性格だと感じた。真面目に働いているし、職場で会話をする同僚もいるが家族という枠組みからは少し浮いている雰囲気が最初から漂っている。「レイは昔から冷たい」とモーリーやリサに何度か言われるのもそれを如実に表している。そしてそのレイの凍った部分を溶かして積極的に誰かの為に何かをしたい気持ちにさせてくれるのがやはりばーちゃんという存在なのである。朝のトイレのあとの深いため息に真っ先に気づいたレイはそれを訝しく思い、その謎は同僚のインド人が解決してくれることとなる。つまり、日本のトイレは和式と洋式二種類あり、特にウォシュレットの技術は世界一であると。このように異国の地でありながら衣食住に関する日本文化が散りばめられていることがこの映画を日本映画に留まらせている。ばーちゃんとトイレ。

おばあちゃんの知恵袋と言われるように言葉は通じなくてもばーちゃんは何でも知っているのである。

全体的にまったりほんわかした癒し系の映画です。心が疲れたときはばーちゃんに甘えてみましょう。

トイレット [DVD]

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27年間の歴史をピコピコにのせて、『トロン:レガシー』

トロン:レガシー』(2010)

まず、この映画を見るために1982年の『トロン』を見て予習したのですが、27年後の今作と見比べることでその映像技術の進歩を感じることができました。物語の内容はハリウッドが大好きな父と子の感動物語です。終了。え?今回は映画の細かい内容については触れませんよ。

今の私たちの生活では当たり前のようにパソコンや携帯電話を所有し、一般家庭にもインターネットが普及していますが、82年当時はまだインターネットもないしパソコンも一部屋使うぐらいばかでかかった。携帯電話もスーツケースで持ち運びだったらしい。そんな時代にアナログ世界からデジタル世界に飛び込んで、プログラムとユーザーで戦う物語なんて言ってもほとんどの人の頭にははてなの迷宮が広がったことでしょう。まず「プログラム」とか「ユーザー」という言葉と概念が一般人には定着していなかったはずです。
しかし今はどんなに機械オンチでも携帯は持ってるしパソコンだって使える。86年生まれの私の子ども時代はファミコンゲームボーイスーパーファミコンが身近なデジタル世界で、毎年のように新しいゲーム機が発売されました。両親がゲーム好きだったために新しいゲーム機はすぐに買い与えられた私は幼い頃から仮想空間と親しんできたせいか高校生の時に始めたインターネットもすぐにのめり込みました。私より下の世代は生まれた時からこのようなデジタル機器と仮想空間が一般化した世界なのだからアナログからデジタルへの移行期の人々の期待と不安なんて想像できないのではないでしょうか。
この経緯を念頭に置けば、初めてCGアニメーションを映画に用い、デジタル世界を視覚化したことで大きな功績を残した『トロン』がなぜこのタイミングで続編が作られたのかがわかるような気もします。1982年当時の限られたコンピュータ技術でデジタル世界を視覚化するためには意外とアナログな作業が必要で、一度撮影したフィルムを韓国に送って1コマずつ彩色して衣装を光らせていたとか。

82年の『トロン』は技術者にとってはその後の映像技術のヒントを与えましたが一般の観客からはまったくウケず興行収支も低いまま終わりました。実際に『トロン』を見た感想は、脚本もいまいちだし音楽もほとんどないからうーむと思わず唸り声をだして退屈してしまった。というか正直15分ほど居眠りしてしまいました。てへ。最近のCGの美しい映像に慣れてしまった今の私の目には、昔のアーケードゲームファミコンレベルにしか見えず「これのどこがすごいんだろう?いや、でも当時からすればこれは最先端技術であるからしてー」となんか葛藤しながら見ていました(笑)

でもね、今作の『トロン:レガシー』を楽しむためにはやはり『トロン』を見ておいてよかったなって思いましたよ!!ストーリーも繋がっているしタイトルであるトロンが活躍するのは82年の『トロン』なので、今作ではほとんど登場していないのです。「ゼルダの伝説」なのにリンクが大冒険してるアノ現象ですね。

ポリゴンアニメのバイクだったライト・サイクルが進化しまくってカッコイイ!
電飾を付けたフリスビーだったディスクは記憶媒体メモリであり武器にもなる!
衣装だって!ピチピチの黒いタイツとシャツ(下はバレエ用の男性用Tバックを履いていたらしい)と電気回路つけてラグビーやホッケーの防具付けただけだったのにツルっとした高性能スーツになっていて近未来的!!すごいね!!
というこの感動は82年の『トロン』を見た後だからこそ感じるものであって、普通に見たらなんの新鮮さもないSF映画であることは否定できませんっ。いや、でもディスクバトルやライト・サイクルゲームの疾走感、ナイトクラブでの戦闘シーンは迫力があってかなり胸熱ですよ。もうしゅんしゅんっびゅんびゅんっですよ。

主人公のフリン役と彼のビジネスパートナーだったアラン役の俳優さんは82年版『トロン』と同じ人です。27年経ってからまた同じ役を演じるのはなかなかないことですよね。しかもフリンは映画の中で20年経った姿と20年前のままの30代半ばの姿で同じ画面に登場します。30代半ばのフリンの方はてっきり特殊メイクかなんかで若返らせているんだと思っていたけど、実はフェイス・キャプチャーを使ったCGキャラクターなんですって!解剖学に基づいた頭髪や眼の構造や動き、皮膚のシワなんかまで細部までこだわって表現されているので実写にしか見えないクオリティー。

そしてそして。『トロン:レガシー』で映像以外で話題になっているのがフランス出身のDAFT PUNKが手がけるサントラ。実はこの情報を聞いて絶対に観に行きたいと思った私です。DAFT PUNKは怪しげなフルフェイスをかぶった二人から成るサイバー・パンクユニットで、とにかくかっちょいいサウンドです。なんと彼ら自身は82年の『トロン』の影響を受けて今の音楽スタイルになったというから驚きました。今作とDAFT PUNKのコラボは必然だったのかもしれません。出演者の選考や脚本が完成するずっと前から監督たちと製作に加わっていただけあって、彼らの音楽と映像の融合は見事なものです。

ナイトクラブへ行くシーンではDAFT PUNKがDJとして登場していて、あまりの溶け込み具合に爆笑してしまいました。彼らは元々事故によってサイボーグになったって設定だし、トロンの世界の住人だったのですね。もちろんサントラ買いましたが、とても良いです。

本当にお話の内容に全く触れませんでしたが、最後の方はほろほろ泣きました。実は劇場で2回観ましたが2回ともです。なのでどうせ観るなら『トロン』を歯を食いしばって観てから『トロン:レガシー』で泣いて欲しいです。

トロン [DVD]

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Tron Legacy /

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幽霊はポイント制、『ステキな金縛り』

『ステキな金縛り』(2011)

みなさん金縛りってなったことあります?私は8時間以上寝ると金縛りになる体質で、幾度となくその非現実的な体験をしてきました。金縛りになるとまず呼吸困難に陥り身体はその名の通り動かせず、声も出せなくなります。金縛りに遭っている時に幽霊を見たとかおかしな声を聞いたという話をよく聞きますが、これはすべて夢なのです。自分が寝ている夢を見たことがあると思いますがそれと同じで、寝る直前に見た光景が夢に出てきているのです。だがしかしそうなるとこの『ステキな金縛り』の話自体つじつまが合わなくなってしまうのでこの辺で無駄話はやめますね。

深津絵里が演じる主人公のエミはとにかくドジな弁護士。寝坊するわ裁判中に資料ぶちまけるわ訳分からん理論をしたり顔で言い放つはもうむちゃくちゃ。そんな彼女に奇妙な殺人事件の依頼があり、名誉挽回の為と張り切るエミ。被告人は事件当夜、山奥の宿場で金縛りに遭っていて身体の上に落ち武者の幽霊が乗っかっていたというアリバイを主張しているのだった。それならその幽霊を連れて来て証言させればいいというこれまた無茶な提案でお話は展開していく。

さっきからむちゃむちゃめちゃめちゃ言ってるけど三谷ワールドの魅力はこの奇想天外なストーリー展開にありますよね。といってもすべてが新しいというわけではなくてむしろその手法は古典喜劇を彷彿とさせます。法廷で様々な登場人物が入れ替わり立ち代り現れててんやわんややるのは古代ローマ喜劇から始まりシェイクスピアなども取り入れています。観客はあたかも法廷の傍聴席で一緒に裁判を見ているかのような錯覚を覚え、その一体感がより観客を惹きつけるのだと思います。弁護士エミが連れてきた落ち武者の幽霊、更科六兵衛は誰にでも見えるわけではなく「ある条件」が必要というのが味噌。「科学で証明できるもの以外は信じない」と言い張る敵方の検事(中井貴一)をどうやって信じさせるか、どのように証言をさせるかを頼りない弁護士と一緒に考えて一喜一憂したりするのがとても楽しいのである。

主役の深津絵里はまさに体当たりの演技を見せた素晴らしいコメディエンヌっぷりでくるくると変わる表情は愛らしかった。前から思ってたけど彼女は声の響きが素敵だと思うのですよね。凛とした張りのある声で、全編通して出ずっぱりなのに飽きさせない魅力を持っています。
西田敏行演じる六兵衛はその佇まいからして笑いを誘うユニークさがあり、意外とわがままでエミを困らせたりする。未だにこの世を彷徨う幽霊という身ゆえの制約もまた色々とあっていちいち笑かしてくれる。その一つが「幽霊は食べ物を食べられない」ということでファミレスでバカみたいに料理を注文しまくっておいてただ匂いを嗅いだりメロンソーダをぶくぶくしたりするだけ。幽霊になってこの世に留まるのは楽しそうだけど、美味しいものを目の前にして匂いだけってのはなんとも耐え難い!!
三谷映画ならではといえるのが豪華な脇役陣。あんな人やこんな人が本当にチョイ役でちらっと顔を出したり、ものすごい大御所がとんでもなくマヌケな役をしていたり。エンドロールを見ながら、あれ、この人どこに映ってたの?なんてのもあったりして隅から隅まで見逃せないのです。

と、ここまで誉めに誉めまくってきたのですが、実はわたくしラストがいまいちだったかなと思ってます。どうせならもうとことん感動的にして最後に一つまみ笑いを入れる程度にして欲しかったのだけど、ちょいちょい笑いを挟んで茶化しているが故に少し距離が生まれてしまいました。せっかく亡き父親の思い出とか伏線で入れてきたのに生かしきれていなかったような気がしました。近くの席からはぐすんと鼻をすする音が聞こえたのでしっかり感動した人もいるのかもしれませんが。

それにしても金縛りに遭っていたから動けなかったというアリバイは現実世界では通用するのでしょうか?まぁ単に寝ていたって言えばいいだけな気もしますがね。

「ステキな金縛り」オリジナル・サウンドトラック

「ステキな金縛り」オリジナル・サウンドトラック